The History of the “HappyMothersDay”

母の日の主な由来は国ごとに違いますが、日本の母の日の習慣は主にアメリカからの影響で定着しました。アメリカ人のクリスチャンである、アンナ・ヴィーナスさんによる運動が「母の日」を作りました。

平和を願う記念日から 母親への敬意と感謝を表す日へ

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「母親を敬う気持ちを世の中に残しておきたい」という願いからアンナさん自ら、アン・ジャービスさんという母親のための祝日をつくるための運動を積極的に行います。

アンナの母であるアン・ジャービスは牧師の夫を早くに亡くし、戦争や病気で8人の子供を失いながらも残った二人の娘を女で一人で育て上げた強い母であり、社会活動家でもありました。その活動は病気や貧しい人のための募金活動や食品検査、公衆衛生活動。南北戦争時には中立を宣言するとともに、南北双方の兵士を看病したり、双方の敵意をなくそうと試みたイベントに南北双方の兵士や地域の人々を招くなどし大成功を収めるなど、女性の地位がまだ低かった当時のアメリカで社会改革にも貢献しました。さらに敬虔なクリスチャンで日曜学校の牧師を26年間も務めていたそうです。このような経歴を持つアン・ジャービスだからこそ、追悼式でのアンナの行為が社会的にも注目を集めたのでしょうね。

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝ったのが最初と言われています。

その運動をきっかけに賛同者が増え始め、まずは地元の州で「母の日」が作られ、最終的にアメリカで「母の日(祝日)」が制定。アンナさんは6年がかりで母の日を作ることに成功。
アンナさんがこのような運動をしなかったら、もしかしたらこの世に母の日が存在しなかったのかもしれませんね。。アンナさんは母が好きだった白いカーネーションを贈ったことから、亡くなられた母には白、存命の母には赤のカーネーションを渡す習慣が広がったそうです。そのご、1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められました。

images-7ただ、その後にアメリカ国内で正式な記念日となった「母の日」ですが、カーネーションが高値で取引されたり、「母の日カード」が大々的に売り出されたりと、あまりに商業的・ビジネス的に便乗しようとする輩が後を立たちませんでした。

アンナは憤慨し、差し止め裁判を起こすなどしてこれらの商業的便乗に歯止めをかけようとしたようですが、結局資本主義の力には太刀打ちできず、ビジネスの世界におけるビッグイベントとして定着してしまったのは見てのとおりです。。

一方で日本は、1913年青山学院で、母の日礼拝が行われた。アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされます。その後1933年(昭和12年)お菓子メーカーである森永製菓が「森永母の日大会」と称して大々的な告知行い広めたことで全国的に認知され、母の日は各地に広まっていきました。1949年ごろからアメリカにならって、5月第2週日曜日に母の日が行われるようになりました。

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大手お菓子メーカーが広げたことがきっかけで日本は母の日が定着したとか、アメリカにならった資本主義国家・日本らしい展開ですね。

SuperOrganicからは世界のママたちに、こころを込めて、HAPPY MOTHER’S DAY!!!!!

 

#mothersday #superogranic #motherslove

 

 

 

 

 

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